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アニメ『時をかける少女』――「未来で待ってる」に込められた想い

時をかける少女
tarumaki

作品情報

『時をかける少女』は、筒井康隆さんのSFジュブナイル小説が原作で、これまで何度も映画やドラマになっている作品です。特に有名なのは、1983年の大林宣彦監督、原田知世さん主演の実写映画と、2006年の細田守監督によるアニメ映画です。

大林監督の映画は、尾道を舞台にした青春映画で、原田知世さん演じる女子高生の芳山和子が、ひょんなことから時間を移動する能力「タイムリープ」を手に入れる物語です。彼女がその力を使って、過去の出来事をやり直したり、未来を少しだけ覗いたりする中で、様々な経験を通して成長していきます。ノスタルジックな映像美と、ちょっと切ない青春模様が印象的です。

あらすじ

高校2年生の夏、真琴(まこと)は、医学部志望の功介(こうすけ)、春に転校してきた千昭(ちあき)という二人の同級生と遊び友達として楽しく毎日を過ごしていた。

ある日、真琴は、故障した自転車で遭遇した踏切事故の瞬間、時間を跳躍する不思議な体験をする。

叔母の芳山和子(よしやまかずこ)に相談すると、それは「タイムリープ」といい、年ごろの少女に「よくあること」だと言う。真琴は、手に入れたその力をツイてない日常のささいな不満や欲望の解消に進んで使い始めるようになった。

突然おとずれたバラ色の日々。ところが、タイムリープできる回数には限度があったのだ。
千昭の真琴への突然の告白を「なかったことにしよう」としたり、功介と同級生の果穂(かほ)の仲を取りもとうとしたりしたことで残りの回数がついに1回に。そして千昭にタイムリープしているんじゃないかと指摘され動揺した真琴は、最後のタイムリープを使いきってしまう。

すると、真琴の目の前を、ブレーキが故障した真琴の自転車に乗った功介と果穂が横切る。
自転車が踏切に突入し、2人の体が宙に投げ出され、真琴が「止まれーー‼」と叫んだとき、時間が静止し、千昭が現れた。

千昭は未来から来たことを真琴に告げ、この時代の、この場所の、この季節にしかない「ある絵」を見るためにタイムリープしてきたと語った。
そして過去の人間にタイムリープの存在を知られてしまったからには、もう真琴と会うことはできないと言って姿を消したのだった。

和子は、打ちのめされた真琴に、自分が高校の時に好きになった男の人をずっと待ち続けた体験を語る。自分と真琴とは違う。待ち合わせに遅れてきた人がいたら、走って迎えに行くのがあなたでしょう、と。

真琴は、自分のタイムリープ能力がもう1回だけ復活していることに気付いた。
真琴は、自分が最初に千昭に会った、あの日のあの場所に戻るため、最後のタイムリープをする。
今度こそ、自分の本当の気持ちを千昭に伝えるために、そして「かけがえのない時間」を取り戻すために。

感想

映画やアニメを観ていて、ふと胸が苦しくなるような瞬間に出会うことがあります。それは大抵、キャラクターたちが自分の想いを飲み込んだときや、大切な何かを諦めるとき。細田守監督のアニメ映画『時をかける少女』には、そんな瞬間がいくつも詰まっています。

青春SFの金字塔ともいえるこの作品は、タイムリープという夢のような設定を使いながら、実はとても現実的で、切なくて、優しい物語です。今回はこの映画をあらためて観なおし、なぜ『時をかける少女』がこんなにも心に刺さるのかを、自分なりに掘り下げてみました。

タイムリープで「ちょっとだけ」幸せに―等身大の青春がここにある

『時をかける少女』の主人公、紺野真琴はごく普通の高校生。ある日突然、タイムリープの能力を手に入れた彼女は、さっそくその力を日常の些細なことに使いはじめます。

たとえば、カラオケを延長するために過去に戻ったり、抜き打ちテストの前にタイムリープして答えを覚えたり――。その使い方がなんとも高校生らしくて、観ているこちらも「うん、私だったら絶対やるわ」と思ってしまう。大それた目的ではなく、「ちょっとだけ」日常をよくしたい、という欲望に忠実なところが、むしろリアルでかわいらしいのです。

このリアリティがあるからこそ、真琴の感情に感情移入しやすくなり、やがて彼女が経験する後悔や苦しみにも深く共感してしまう。とくに、タイムリープを無邪気に使いすぎたことで、大切な人との関係が少しずつ狂っていく場面では、観ているこちらも胸が痛くなってきます。

「未来で待ってる」―恋愛と成長の狭間で交わされた別れ

本作を語るうえで欠かせないのが、未来から来た転校生・間宮千昭の存在です。彼は物語の後半で、自身の正体を明かし、真琴に未来へ帰らなければならない理由を語ります。

そして訪れるのが、あの名シーン――真琴を強く引き寄せ、「未来で待ってる」と言い残して去っていく場面。ここでの千昭の一言が、どれだけ多くの人の胸を締めつけたことでしょうか。あの一言には、言葉では表現しきれないほどの想いが詰まっています。

このシーンを「真琴の失恋」と解釈することには賛否あるかもしれませんが、個人的にはやはりそうだと思うんです。真琴は千昭に対して何度も「なかったことにする」ことで、彼の想いを受け入れることを先延ばしにしてきました。その結果、彼の告白を聞けるチャンスも失い、残されたのは淡い別れの言葉だけ。

でもだからこそ、あの「未来で待ってる」という一言が、希望のように輝いて見える。完全なハッピーエンドではないけれど、決してバッドエンドでもない。その微妙な余韻が、観る者の心を強く揺さぶるのです。

成長とは「あきらめる」こと――タイムリープの先に見つけた未来

『時をかける少女』は、一見するとSFの皮をかぶった青春ラブストーリーに見えますが、その本質は「成長の物語」なのだと思います。

タイムリープという特別な能力を手に入れた真琴は、思い通りに人生を操作しようとします。快楽を最大化し、不快を最小限にするためにタイムリープを重ねる。だけど、そこには思わぬ代償があった。バタフライ・エフェクト的な出来事が、彼女や周囲の人たちに思いがけない波紋を広げていく。

万能に思えた能力が、逆に自分の無力さを浮き彫りにする。この構造は、うえお久光の『紫色のクオリア』にも通じるところがあります。どれだけ特別な力を持っていても、人間は完璧にはなれない。そんな当たり前のことを、真琴はひと夏の経験で学んでいきます。

そして彼女は「あきらめる」ことを通じて成長していく。恋愛を成就させることも、自分の思い通りにすべてをコントロールすることも――。それらをあきらめ、受け入れた先に、ようやく「未来に向かって走る」という意志が生まれるのです。

斎藤環さんが言うように、成長とは「可能性を断念し、役割を引き受けること」なのかもしれません。『時をかける少女』は、それを誰よりも誠実に描いた作品なのだと思います。

まとめ:好きだ、やっぱりこの映画が

『時をかける少女』を観るたびに、心がじわっとあたたかくなります。そして少しだけ切なくなります。物語の中で真琴が失ったもの、あきらめたこと、そして得たもの。その全てが、観ている私たちの人生にも通じているからこそ、この映画は今もなお多くの人の心に残り続けているのでしょう。

高校時代のあの微妙な感情、どうしようもない後悔、そして誰かを想う気持ち。そういうものが詰まったこの物語は、観るタイミングによって感じ方が変わるのも魅力のひとつです。

「未来で待ってる」――この言葉がこんなにも深く刺さるのは、それがただの別れの言葉ではなく、「進むための約束」だから。

やっぱり好きです、この映画。


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ゲーム制作会社で働いてます。
最新作から過去作まで好きな作品を紹介して、少しでも業界の応援になればと思いつつに書いていこうと思います。 基本的に批判的な意見は書かないようにしています。
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