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アニメ

『結城友奈は勇者である』が描いた、死よりも残酷で優しい“自己犠牲”――僕らはなぜ、この痛切な日常を愛してしまうのか

YUKIYUNA
tarumaki

作品情報

Studio五組が制作した本作は、人々の役に立つ活動をする「勇者部」の中学生たちが、人類の敵と命懸けで戦う物語です。

最大の魅力は、ほのぼのとした日常と、戦いの代償として身体の機能を失っていく「散華」という残酷な設定の凄まじい落差にあります。世界の存続という巨大な責任を背負わされた少女たちの、痛々しいまでの絆と理不尽に抗う姿が、観る者の倫理観を激しく揺さぶる傑作です。

あらすじ

ゆうきゆうな結城友奈、13歳。。 勇者部に入ります。
結城友奈は朝起きて、支度して、学校へ行き、 授業を受けて、部活して、友達と遊んで・・・。 そんな普通の日常を過ごしている中学2年生。
あえて特殊な点をあげるなら、 彼女の所属する部活は「勇者部」。
その活動内容とは?
不思議な存在、バーテックスとは?
神世紀300年、少女たちの物語一。

その変身には、あなたの「機能」を対価とする

魔法少女、あるいはバトルヒロイン。 世界を救うために選ばれた少女たちが、不思議な力で未知の敵と戦う。アニメ史において脈々と受け継がれてきたこの王道ジャンルに、2014年、一つの特異点が生まれました。 それが、岸誠二監督、タカヒロ原案によるオリジナルアニメ『結城友奈は勇者である』(通称:ゆゆゆ)です。

「また『まどマギ』のフォロワーか」 放送前、あるいは序盤のほのぼのとした部活動(勇者部)の描写を見て、そう高を括っていた視聴者は少なくなかったでしょう。 しかし、物語が中盤に差し掛かった時、私たちは思い知らされます。この作品が提示した「魔法の代償」が、過去のどの作品とも似て非なる、底知れぬ狂気と絶望を孕んでいたことに。

体力の消耗でも、命の危険でもない。 「強化変身(満開)の代償として、身体の機能が一つ失われる(散華)」。 味覚、声、聴力、視力、そして……。

今回は、放送から時を経てもなお、熱狂的なファン(勇者部員)を生み出し続け、香川県観音寺市の地域おこしにまで発展したこの傑作について、ベテランコラムニストの視点からその「痛み」と「優しさ」の根源を紐解いていきます。

「散華」という非日常が、愛おしい「日常」を侵食する恐怖

本作を語る上で絶対に外せないのが、前述した「満開」と「散華」のシステムです。 勇者たちは死にません。神樹(しんじゅ)様の加護により、どんな致命傷を受けても死ぬことはなく、ピンチになれば「満開」して強大な力を得ることができます。

しかし、その代償はあまりにも残酷でした。 犬吠埼樹(いぬぼうざき いつき)は、歌のテストを機に歌手になる夢を抱いた直後、満開の代償として「声」を失います。 結城友奈は「味覚」を失い、出されたご馳走の食感や喉越しだけで「美味しい」と嘘をついて笑います。 これらは単なるバトル上のペナルティではありません。彼女たちが大切にしていた「日常の喜び」が、一つ、また一つと奪われていく過程なのです。

本作は、1クールのうち半分近い時間を「日常回」に割いています。新入部員の歓迎会、カラオケ、文化祭の準備。 その平和で眩しい日常が丁寧に描かれているからこそ、「散華」による喪失感が視聴者の胸をえぐります。 死ねば楽になるかもしれない。しかし、勇者は死ぬことすら許されず、身体の機能を神への供物として捧げ続けながら、戦い続けなければならない。 先代勇者である乃木園子が、全身包帯巻きでベッドに横たわる姿で登場した時の絶望感は、アニメ史に残るトラウマと言っても過言ではありません。

結城友奈の「狂気的」なまでの優しさと、東郷美森の「反逆」

過酷な真実を知った後、勇者部の中では強烈な葛藤が生まれます。 中でも印象的なのが、親友同士である結城友奈と東郷美森の対比です。

友奈は、どこまでもポジティブで、自己犠牲を厭わない「勇者」です。 仲間が散華するのを防ぐため、自分が全てを背負おうとする。敵へのトドメを率先して刺し、味覚を失っても決してそれを仲間に悟らせまいとする。 彼女の優しさは、見方によっては「自己犠牲の狂気」にすら見えます。しかし、その根底にあるのは「みんなの日常を守りたい」という純粋な願いだけなのです。

一方、東郷美森は、勇者システムの真実と、世界の壁の外がすでに滅びている(バーテックスの巣窟である)という絶望的な事実を知り、「反逆」を選びます。 「こんな地獄を繰り返すくらいなら、神樹様を破壊して全てを終わらせる」 彼女の行動は、ヒーローとしては間違っているかもしれません。しかし、過去に大切な人を守れず、これ以上友奈たちが傷つくのを見たくないという彼女の「愛の重さ」を理解した時、私たちは彼女を責めることができなくなるのです。

正義と正義の衝突ではなく、「愛」と「愛」の衝突。 友奈が東郷を止めるシーンは、本作のテーマが凝縮された魂の叫びの応酬でした。

賛否両論の最終回――「ご都合主義」ではなく「救い」を描く意味

そして迎える最終回。 全てが解決したかに見えた後、友奈は心の機能(意識)を失い、植物状態となってしまいます。 毎日病院に通い、反応のない友奈に語りかけ、涙を流す東郷。 しかし、最後には奇跡が起こり、友奈は意識を取り戻し、仲間たちの散華した後遺症も回復して、ハッピーエンドを迎えます。

放送当時、この結末に対して「あそこまで重くしたのに、最後はご都合主義で全員治るのか」という批判(賛否両論)があったのも事実です。 特に、脚本家や監督の作風(「説明しない」演出)に対する不満の声も上がりました。

しかし、私はこの結末を「ご都合主義」と切り捨てることには賛同できません。 なぜなら、本作は「人間の好きな神様(神樹様)がいる世界」の物語だからです。 彼女たちは、自らの身体を捧げて世界を救いました。その限界を超えた「勇気」と「優しさ」に対して、神樹様が最後の力を振り絞って奇跡を還元した。 もしここで、彼女たちが障害を抱えたまま生きていくバッドエンド(あるいはビターエンド)になっていたら、それはただの悪趣味な鬱アニメに成り下がっていたでしょう。

「なせば大抵なんとかなる」 勇者部の信条であるこの言葉を、作り手自身が信じ、証明してみせた。 だからこそ、この作品は深く愛され、のちの「鷲尾須美の章」や「勇者の章」といった続編へと命脈を繋ぐことができたのです。

まとめ:これは、日常を愛する全ての人への賛歌

『結城友奈は勇者である』は、一見するとハードなダークファンタジーですが、その本質は「何気ない日常がいかに尊いか」を描いたヒューマンドラマです。

Studio五組による美しい作画、MONAKA(岡部啓一氏ら)による神秘的で和風な劇伴音楽、そして声優陣の魂を削るような熱演。 これらが三位一体となって、私たちの心に「痛み」と「温かさ」を同時に刻み込みます。

まだ見ていないという方は、ぜひ偏見を捨てて視聴してみてください。 そして、既に見たという方も、彼女たちが守り抜いた「うどんの味」や「カラオケの歌声」の意味を噛み締めながら、もう一度見返してみてはいかがでしょうか。

きっと、あなたの何気ない日常が、昨日よりも少しだけ愛おしく感じられるはずです。

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ゲーム制作会社で働いてます。
最新作から過去作まで好きな作品を紹介して、少しでも業界の応援になればと思いつつに書いていこうと思います。 基本的に批判的な意見は書かないようにしています。
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