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アニメ

『王様ランキング』が描く“弱さ”という最強の武器――絵本のような世界に隠された、大人のための残酷と愛

King
tarumaki

作品情報

王様ランキング』は、十日草輔さんによる漫画が原作で、2021年にアニメ化され大ヒットを記録したファンタジー作品です。**「非力な王子が、世界一の王様を目指す」**という、誰もが応援したくなる感動的な物語が描かれています。

この作品の魅力は、困難に立ち向かうボッジの純粋さと勇気、そして彼とカゲの間に生まれる固い友情です。非力なボッジが、カゲや旅の途中で出会う人々との交流を通して、心身ともに成長していく姿が丁寧に描かれています。また、登場人物たちの過去や、王国の裏側に隠された壮大なドラマも、物語に深みを与えています。

あらすじ

国の豊かさ、抱えている強者どもの数、

そして王様自身がいかに勇者のごとく強いか、

それらを総合的にランキングしたもの、それが〝王様ランキング〟である。

主人公のボッジは、王様ランキング七位のボッス王が統治する王国の

第一王子として生まれた。

ところがボッジは、生まれつき耳が聞こえず、

まともに剣すら振れぬほど非力であり、

家臣はもちろん民衆からも「とても王の器ではない」と蔑まれていた。

そんなボッジにできた初めての友達、カゲ。

カゲとの出会い、そして小さな勇気によって、

ボッジの人生は大きく動きだす———— 。

涙腺のダムが決壊する、愛しき「裏切り」との遭遇

「絵本のような可愛らしいアニメでしょう?」 もしあなたがポスタービジュアルだけを見て、この作品をそう判断してスルーしているのなら、それは人生における大きな損失だと言わざるを得ません。

今回取り上げるのは、WIT STUDIO設立10周年記念作品として世に送り出された『王様ランキング』。 耳が聞こえず、非力な王子ボッジと、ひねくれ者のカゲ。二人の冒険を描いたこの物語は、私の乾いた涙腺をこれでもかというほど刺激し、干からびるほどの脱水症状を引き起こしました。

一見するとディズニーやジブリを彷彿とさせる「童話」のような世界観。しかし、蓋を開ければそこに広がっていたのは、人間の業、複雑に絡み合う因縁、そして昭和の名脚本家・山田太一のドラマを彷彿とさせるような、骨太でリアリティのある人間ドラマでした。 今回は、この愛すべき傑作について、その魅力と、賛否両論渦巻く結末についても深く切り込んでいきたいと思います。

「童話」の皮を被った「人間讃歌」――ギャップが織りなす衝撃

まず、本作を語る上で外せないのが、第一印象と中身の強烈なギャップです。

主人公のボッジは、王様ランキング7位の強国に生まれながら、耳が聞こえず、言葉も話せず、剣すらまともに振れない少年。周囲からは「王の器ではない」と蔑まれています。 しかし、この設定こそが本作の最大のフック。伝えたいのに伝わらないもどかしさ、悔しさ。それらが彼の成長の糧となり、視聴者の心を鷲掴みにします。

特筆すべきは、その「アニメーションとしての豊かさ」です。 キャラクターデザインは極めて簡素で、一見すると子供向けのよう。しかし、いざアクションシーンが始まると、WIT STUDIOの本領発揮と言わんばかりに、画面狭しとキャラクターが躍動します。 簡素な線だからこそ表現できるダイナミックな動き、表情の微細な変化。特にボッジが涙をこらえる表情や、カゲと心が通じ合う瞬間の描写は、言葉がないからこそ、痛いほどに感情が伝わってくるのです。

また、本作は「勧善懲悪」ではありません。 一見良い人が悪人であったり、悪人面した人物がとてつもなく深い情を持っていたりする。この「見た目や第一印象だけで人を判断してはいけない」というテーマは、現代社会を生きる私たち大人にこそ深く刺さるメッセージを含んでいます。 ボッジの非力さは、物語が進むにつれて「弱さこそが、人の痛みを理解し、他者を救う力になる」というアンチテーゼへと昇華されていきます。このカタルシスこそが、本作が単なる冒険活劇を超えた名作と呼ばれる所以でしょう。

アニメ史上最高の母・ヒリングと、愛すべき脇役たち

この作品の真の魅力は、サイドキャラクターたちの「人間臭さ」にあります。 中でも私が声を大にして、いや、文字を大にして称賛したいのが、継母であるヒリング王妃です。

彼女は「アニメ史上最高のママキャラランキング」があれば、間違いなくトップを争う逸材です。 登場初期の彼女は、尖った鼻ときつい吊り目で描かれ、いかにも「意地悪な継母」という記号的な役割を背負わされているように見えます。しかし、物語が進むにつれ、その評価は180度覆ります。 彼女のヒステリックな言動は、すべて息子たち(実子のダイダだけでなく、継子のボッジも含めて)への深すぎる愛情の裏返しなのです。

瀕死のボッジを救うために必死で治癒魔法をかけ続ける姿、敵陣営の人間ですら助けてしまう慈悲深さ、そして実の夫であるボッス王(の魂が入ったダイダ)に対してすら、息子を守るために刃を向けようとする覚悟。 「ツンデレ」という言葉では片付けられない、母性の極致がそこにあります。彼女が登場するたびに目頭が熱くなった視聴者は私だけではないはずです。

また、ボッジの唯一の友となるカゲも素晴らしい。 声を担当する村瀬歩さんの演技には脱帽です。愛らしい見た目とは裏腹なダミ声から、繊細な感情表現まで、カゲというキャラクターの「生きた証」を完璧に演じきっています。 その他、冥府の王デスハーや、師匠となるデスパーなど、誰一人として「書き割りのモブ」が存在せず、全員がそれぞれの正義と背景を持って動いている。だからこそ、彼らの群像劇に私たちは惹きつけられるのです。

「救い」の是非――ミランジョの結末と、物語が問いかけたもの

手放しで絶賛したい本作ですが、ベテランコラムニストとして、作品の後半、特に終盤の展開については冷静な分析を加える必要があります。

物語の後半、ボッジはとある修行を経て「最強」の一角へと上り詰めます。 ここには爽快感がある一方で、「弱さが武器になる」という序盤のテーマが、物理的な強さによってややぼやけてしまった感は否めません。アクションアニメとしての見栄えは最高ですが、ドラマ性を重視する層にとっては、少し寂しさを感じる転換点だったかもしれません。

そして、最も賛否が分かれるのが、黒幕的存在である「ミランジョ」の扱いです。 彼女の過去が壮絶であることは間違いありません。しかし、彼女が犯した罪――ボッジの母シーナの殺害や、国を滅ぼそうとした行為――に対し、結末があまりにも「甘美」すぎたのではないか、という議論です。 ダイダによるプロポーズと、すべてが許されたかのような大団円。これは、ボッジの成長物語を見ていたはずが、急にキラキラとした少女漫画のラストを見せられたような、ある種の「置いてけぼり感」を視聴者に与えてしまいました。

「罪を憎んで人を憎まず」という本作の優しいテーマは理解できますが、彼女の贖罪のプロセスをもう少し丁寧に、あるいは厳しく描いてほしかったというのが本音です。 また、終盤の「地獄の門」周辺の展開におけるテンポの悪さも惜しまれる点でした。全員を掘り下げるあまり、物語の推進力が削がれてしまった印象があります。

とはいえ、それらの欠点を補って余りあるほど、この作品が私たちにくれた「感情の揺さぶり」は本物です。 ラストシーン、カゲとボッジが選んだ未来。そこに至る過程に多少の不満はあれど、二人の門出にはやはり涙せずにはいられませんでした。

まとめ:それでも、この世界は美しい

『王様ランキング』は、完全無欠の作品ではないかもしれません。 しかし、人の弱さ、脆さ、そしてそれ故に他者に縋り、助け合うことの尊さを、これほどまでに真っ直ぐ描いたアニメは近年稀有です。

ボッジという小さな王様が教えてくれたのは、「耳が聞こえない」「剣が振れない」といった欠落は、決して不幸の象徴ではないということ。 もしあなたが、日々の生活で自分の無力さに打ちひしがれているのなら、ぜひこの作品を見てください。ボッジのひたむきな姿、カゲの不器用な優しさ、そしてヒリングの深い愛情が、きっとあなたの明日への活力になるはずです。

水分補給を忘れずに。ハンカチではなく、バスタオルを用意して、この優しい冒険譚に飛び込んでみてください。


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ゲーム制作会社で働いてます。
最新作から過去作まで好きな作品を紹介して、少しでも業界の応援になればと思いつつに書いていこうと思います。 基本的に批判的な意見は書かないようにしています。
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