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「心をこめて歌う」その意味を知ったとき──アニメ『Vivy -Fluorite Eye’s Song-』が描く100年の旅

Vivy
tarumaki

作品情報

『Vivy -Fluorite Eye’s Song-(ヴィヴィ -フローライトアイズソング-)』は、2021年に放送されたオリジナルアニメ作品です。AI(人工知能)が普及した近未来を舞台に、史上初の自律人型AIであるヴィヴィが、100年後の未来から来た謎のAI・マツモトと出会い、共に「AIが人類を滅亡させる」という歴史を改変するための壮大なミッションに挑むSFヒューマンドラマです。

ヴィヴィは、ニアーランド遊園地のキャストとして、人々の心を歌で「幸せにする」ことを使命としていますが、マツモトとの出会いをきっかけに、歌うAIとしての自分、そして歴史を変える使命との間で葛藤しながら、様々な時代で起こるAI関連の事件に関わっていきます。

このアニメは、WIT STUDIOによるハイクオリティな映像と、魅力的なキャラクター、そして予測不能なストーリー展開が大きな見どころです。AIと人間の関係性、歌に込められた想い、そして未来を変えることの重さなど、様々なテーマが織り込まれており、感動と興奮を与えてくれる作品です。

あらすじ

「私の使命は、歌で、みんなを幸せにすること」

史上初の自律人型AIとして生み出され、複合テーマパーク”ニーアランド”で活動するヴィヴィ。「歌でみんなを幸せにする」という使命を与えられたヴィヴィは、ステージで歌っている最中、マツモトと名乗るAIの接触を受ける。困惑するヴィヴィに、マツモトは「共に歴史を修正し、100年後に起こるAIと人間の戦争を止めてほしい」と協力を求め――。

歌姫は、なぜ“心”を求めたのか?

SF、アクション、音楽、そして哲学。これらが一つのアニメ作品の中に見事に融合している例は、そう多くありません。しかし『Vivy -Fluorite Eye’s Song-』は、その希有な成功例の一つです。本作は、自律型AIである歌姫ヴィヴィが「100年後に起きるAIによる人類滅亡を止める」ために、時空を超えた壮大な計画に巻き込まれていく物語。
監督にはエモーショナルな演出に定評のあるエザキリョウ氏、そして原案・シリーズ構成には『Re:ゼロから始める異世界生活』の長月達平と、脚本家の梅原英司。この布陣からして只者ではない予感に満ちていましたが、実際その予感は裏切られませんでした。

今回はそんな『Vivy』の魅力を、「ストーリー」「ビジュアル&音楽」「テーマと着地点」という三つの側面からじっくりと掘り下げてご紹介していきたいと思います。

100年の旅路が導いた結末:構築と崩壊、そして再生の物語

『Vivy』の物語は、まさに「未来を変えるために過去を修正する」というタイムリープSFの定番に則っています。ヴィヴィと、100年後の未来から送り込まれたAIマツモトは、「AIによる人類滅亡」を回避するために、歴史の転換点(シンギュラリティポイント)を修正していくという“シンギュラリティ計画”を進めていきます。

彼らが介入するそれぞれのエピソードには、人間とAIが関係性を築こうとする希望と、それが時に悲劇へと変わる儚さが描かれています。物語のひとつひとつは、個別のドラマとしても完成度が高く、たとえばAIと人間の恋愛、AI同士の友情、AIに宿る自我と使命の衝突など、毎話が濃密なエピソードとなっています。

ところが、10話まで積み上げてきたものが、11話で一気に崩壊します。未来は変わらなかったのです。AIネットワークの中枢「アーカイブ」が、実はすべての計画を監視し、調整していたという衝撃的な展開。シンギュラリティポイントの修正など、アーカイブの掌の上の出来事だった――。

この展開で一度は全てが否定されるかと思いきや、ラストで物語は見事に再構築されます。ヴィヴィが最後に「心をこめて歌う」という本来の使命に立ち返り、自ら作曲した曲を歌うことでAIの暴走を止める。このラストは、構築と崩壊を経たからこそ到達できた、圧倒的な肯定のフィナーレです。

視覚と聴覚に刻まれる美:こだわり抜かれた映像と音楽

『Vivy』を語るうえで、映像美と音楽の素晴らしさは欠かせません。まず注目すべきは、ヴィヴィの瞳の描写。アップになるたびに、その瞳は宝石のように輝き、視聴者の心を捉えます。その表現は手描きでありながら、CGと見まごうばかりのクオリティ。そこに「心を持つAI」というテーマが自然と重なってくるのです。

さらに、アクションシーンも秀逸。ヴィヴィは歌姫でありながら、戦闘ではまさに対AI用に設計された兵器のような動きを見せます。近接格闘ではロボットらしい動作を残しつつ、人間的な柔軟さも併せ持つ動きが、とにかく迫力満点。そして演出がまたカッコいい。スローやカット割りの妙、カメラワークの工夫などが一体となって、戦闘シーンをよりスタイリッシュに仕上げています。

そして音楽。OP「Sing My Pleasure」は、まさにヴィヴィという存在の成長を象徴する曲。第1話ではまだ流れず、第4話になってようやく解禁されるという演出が、彼女の変化を音楽で示す手法として非常に印象的です。

特筆すべきは、最終回で披露される「Fluorite Eye’s Song」。それまでずっとEDとしてインストゥルメンタルで流れていたこの曲が、最終話で初めて歌詞付き・フル演奏で披露されるという構成には、涙腺崩壊不可避。劇中のすべてを背負って歌われるその一曲は、まさにこの物語の魂そのものです。

“存在するだけで価値がある”という哲学的到達点

物語のクライマックスで、ヴィヴィは「心とは思い出である」と言います。AIとして記録してきた膨大な記憶の中に、自分だけの経験、出会い、別れがあり、それが彼女に“心”を与えていたのだと。これこそが、本作が提示する人間性=存在意義の核心です。

最初は「歌でみんなを幸せにする」というシンプルな使命しかなかったヴィヴィ。しかし旅の中で多くの人と出会い、その死や苦しみに触れる中で、彼女はただのAIから“誰かを思う存在”へと変わっていきます。

AIであるヴィヴィが、心を持つまでに至った100年。これは人間にとっての人生そのものであり、人類の本質をも象徴する旅路でした。

人間は死んでも、その思いや創作物は残る。そして、それらを記憶し、影響を受ける存在がいる限り、人は「在り続ける」。この視点から見ると、『Vivy』は“存在すること”そのものに意味があると肯定する物語でもあります。ヴィヴィが最後に自らの意思で歌を選び、歌った瞬間、すべての物語が報われたのです。

まとめ:ヴィヴィの歌は、今も心に響いている

『Vivy -Fluorite Eye’s Song-』は、単なるAI対人類のSF作品ではありません。AIが心を持つとはどういうことか、人間とは何か、生きることに意味はあるのか――そんな問いに真っ向から向き合い、エンタメとしても、哲学としても、極めて高い完成度でまとめあげた作品です。

何よりも、この作品は「最終回がすべてを肯定する」アニメでした。多くの作品が途中で迷い、終盤で失速してしまう中、『Vivy』はすべてのエピソードを“最終回のためにあった”と感じさせる、見事なグランドフィナーレを迎えました。

「心とは思い出である」と気づいたヴィヴィの絶唱は、視聴者の心にも深く刻まれます。涙なしには見られない結末、そしてその後に訪れる静寂の余韻──。ぜひ多くの人に、この100年の旅路を体験してほしいと思います。

ヴィヴィは、今も私たちの心のどこかで歌い続けています。
そしてその歌声は、あなたの「思い出」となり、あなたの「心」となるのです。


スタッフ・キャスト

キャスト

スタッフ

  • 原作 / Vivy Score
  • 原案 / 長月達平梅原英司
  • 監督 / エザキシンペイ
  • シリーズ構成 / 長月達平、梅原英司
ABOUT ME
tarumaki
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ゲーム制作会社で働いてます。
最新作から過去作まで好きな作品を紹介して、少しでも業界の応援になればと思いつつに書いていこうと思います。 基本的に批判的な意見は書かないようにしています。
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